創業からの記録 迷走編
社長ブログ
13年間の安定したサラリーマン生活に別れを告げて、起業したのは平成14年の冬でした。 思えば、恵まれたサラリーマン生活でした。 思いっきり仕事して、思いっきり遊んで、それなりに評価して貰って。 それでも…。
私の起業は、
「このビジネスモデルは当たる!」
「サクセスストーリーを歩むのだ」
夢と希望に燃えて!いました。 ところが、現実はそんな明るい門出ではありませんでした。
・お金がない
・看板がない
・実績がない
・歴史がない(ま、当たり前ですが)
材料の仕入れをしようにも「お宅には掛売りはできない」「現金先払いなら納品してやってもいい」はたまた「出直してきて」…そうは問屋が卸さない、とはこういうことかと実感。
さらに、気持ちに追い打ちを掛けられたのが、クレジットカード。 ショッピングモールでクレジットカードの勧誘を受けて”1枚くらい持ってた方がいいかも”ということで申し込みしたらあえなく撃沈。 「社会人一年生でも簡単に通るカードだから。」と聞いていただけに、自らの社会的評価の低さに打ちのめされた35歳の春でした…。
笑い事ではなく、家内と小さな子供二人、さらに犬一匹を食べさせなくてはなりません。もう必死にポスティングにFAX DMや挨拶回り等と、時間は全て営業活動に費やしました。なにしろ時間だけはいっぱいありました。 そして、自社のサービス(防水改修工事)にはとても自信がありました。 工事店として訴えたいことは、たくさんあったのです。 ただ、資料作成に掛かるプリンターのインクって、なんでこんなに高いんだろうと、作る度に思っていました。
あれやこれやと溺れないように必死であがいていると、助けてくれる人も現れます。(更に叩く人もいましたが)
「この物件をやらないか?」
「ちょっと現場を見てよ。」
少しずつお声が掛かることが多くなってきました。
お客さんからの紹介で、材料屋さんの口座も開設できました。
職人さんの手元をしながら一軒一軒現場をこなしていきました。
紹介されたり、リピートもらったり。
平成16年、受注がある程度安定してきました。(すこしホッと。)
当時のお客さんは、主にゼネコンさんでした。
当社は、下請けもしくは孫請け、ひ孫受けでした。
元請さんから求められるのは、工期短縮とコストダウンでした。
特に値引きの要請は厳しいもので、まるで底が見えません。 工事をこなすごとに負債は増える一方。
でも、”贔屓にして下さるお客さんなんだ、大事にしなきゃ。”
耐乏生活は続きます。
そんな中、あるゼネコンの現場監督と工事の価格交渉の場での監督さんの一言でした。
「おたくらは人並みの生活をしようとするからこんな見積もりを持ってくるんだよな?昭和の初めの生活レベルまで落とせばいいんだから、まだ値引きの余地はあるだろ?」
(ちなみに、この監督さんはこの年の利益貢献優秀ということで社内表彰された、とのことでした。)
…間違った方向へ努力してきてしまった。これじゃあ誰も幸せになれないし、幸せにしてあげられない…。
ここでようやく、私の思考回路が切り替わりました。
”困っているお客さんの力となり喜ばれる仕事がしたい。 そして、私たちの活躍を喜んでいただける方をお客さんにしよう。 我々が思うお客さん以外からは、仕事は一切受けないことにしよう!”
決めれば、楽です。
ただ、経済的には、またしても急降下。
かつてないレベルの耐乏生活がスタートしました。
築35年の我が家。 雪の重みで軒先きが轟音とともに折れました。 床板は腐食し、畳の上からでも凹みがわかるほどの傷み具合。 夏場は枕元を蟻さんが行列です。 そうそう、天井裏が騒がしいなと思ったら、2m近くの丸々と太った青大将がとぐろを巻いていたのには驚きました。 どうりで最近、ネズミを見ないわけだ。
まだ小学生の長男坊は笑っていましたが、娘は怯えてます。
修繕したいのですが、お金がないんです。
最も苦しんでいた時期でした。 この後、ある出会いとともに転換期が訪れます。
長くなりましたので、次に続きます。